田園ハブシティ構想
田園ハブシティ構想
「地方田舎創生」
・・・人口減少による消滅の可能性・・・・
国立社会保障・人口問題研究所が昨年3月にまとめた将来推計、「消滅可能性都市」は全国の49・8%に当たる896市区町村。このうち523市町村は2040年に人口が1万人未満
地方には都市部にない生産資源がある
・・・・地方田舎地の復活・・・・・
地方田舎地域の特色及びその地域住人と共に自然豊かな環境を活かした
田園ハブシティ構想の実現
デジタル技術の暮らしと自然を調和させた新たな社会像
「田園ハブシティ」
働き方のデジタル化を促進、地方にいても都市部並みの収入。その職場や出勤にとらわれないリモートワーク。オンラインによる居住地にとらわれない質の高い教育や医療及び生活経済活動の実現
「高齢者・中高年齢層・若年齢層・子供のふれあいシテイ」となる
・・国内の各田園ハブシティ相互ネットワーク生活経済構想・・
*脱炭素型地域社会に・・・・脱炭素地球環境ハウス導入設置・・・
スマートログハウス(住人居住用・・・所有権または賃貸)
スマートテントハウス(観光集客アウトドア賃 災害時活用)等
*・・・・災害に強い生活インフラ整備・・・
*・・・・生活利便性の追求・・・
「ドクターヘリ」 「空飛ぶ自動車」「空飛ぶバイク」 「ドローン宅配」
離着陸地設置 移動バス等の運行
*・・・・5G通信インフラ利用・・・
オンライン教育 ・オンライン医療 ・オンライン商業(電子決済含む等)
・リモートワーク等 市町村行政とのオンライン化
国内・海外相互ネットワーク生活経済の構築
*・・・・住人の経済活動の一環として・・・・
田園ハブシテイ各住人農産物生産、その他田園農産活用付加料理・菓子等国内外ネット販売など
住人農産物活用田園ハブシティレストラン運営
田園ハブシティ道の駅運営等
(住人の田園ハブシティホームページ制作、運営・管理)
田園ハブシティ地域性特有の新規ビジネス開拓
政府に全国各田園ハブシティ国家戦略特区を要請
・日本版シリコンバレー「産業社会デジタル化研究・開発・人材育成」特区
*・・・・田園ハブシティ施設設置例・・・・
病院(診療所・・・医師・看護師 常駐または訪問・オンライン診療等)
保育所・小・中一体型施設学校 (オンライン教育含む)
住人コミニティ集会所設置
防犯セキュリティ監視システム設置 (ドローン監視システム導入含む)
その他利用環境に応じた施設設置(高齢者・経済活動施設等含む)
空き家・空き地有効活用等
大都市近郊ではなく、田舎暮らしを希望する人が、急激に増えている。NPO法人ふるさと回帰支援センターの東京情報センターの利用者数は、2014年度の1万2876件から2019年度には4万9760件、2020年度は4万729件と、5、6年間で4倍に増えている。
田園ハブシティは日本経済を動かす
「時は来た!」田園ハブシティ構想実現に向けて・・・・・・・次回に続く
小説「原爆と証」第一章
小説・・・主題 「原爆と証」
著者 ステイ宅建士 (爆心地1.6km圏内で被爆 その被爆2世)
原子爆弾が投下された長崎と広島で21万人が、その年で死亡。
第一次世界大戦以来、兵器の進化によって軍隊は石油なしには成立しない状況. その石油資源の確保は重大な問題となり、ドイツ、イタリア、日本など持たざる国家にとっては石油の備蓄と産出地の獲得が死活問題となった。そのためこれらの国々は海外に資源の確保と維持を求めたのである。
「日本の大陸侵略」に対し、1941年には米国から日本への石油輸出が禁じられ、その後イギリス、オランダからの石油も全面的に禁輸となってしまう。こうしてエネルギーの供給を絶たれたことが、同年12月に太平洋戦争の開戦時期を決める大きな要因となったのも事実である。このような世界情勢の要因が絡み合い、国力と国益を確保するために軍国主義思考を持つ一部の軍中枢、政治家、官僚の集団的思考によって正当化され、第ニ次世界大戦となり、大日本帝国の結末となった「証」である。
現在の長崎市内の様子を丘の上、稲佐山展望台から眺める長崎市の様子から投射。 長崎市の夜景は世界新三大夜景 日本三大夜景にも数えられている。
戦争の原子爆弾により長崎で犠牲となった、人たちの思いを引き継ぎ、復興を成し遂げた街並み。
背景・・・・長崎市への原子爆弾投下は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分に、アメリカ軍が日本の長崎県長崎市に対して原子爆弾を投下。平和公園に置かれている原爆落下中心碑の座標。浦上天主堂の上空付近、高度約500メートルの地点で、原子爆弾がさく裂した。原爆の投下により、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡し、建物は約36%が全焼または全半壊した。
原爆投下前の浦上天主堂
その被爆者家族9人「父親(浅一)母親(さく) 長男(正勝 当時16歳)、長女(英子 当時18歳) 次男(茂 当時13歳) 次女(恵美子 当時12歳) 三男(敏夫 当時5歳) 三女(睦子・・・当時9歳) 四男(正 当時2歳)及び三女(睦子)の夫となる七雄」が生き抜いた実話の「証」である。
原爆投下までの経緯、明治以来、「日本の大陸侵略」が日清・日露戦争によって台湾、朝鮮、南樺太(からふと)を植民地とし、南満州(中国東北)を勢力化した。さらに産業革命後、いち早く近代化を達成したヨーロッパの列強諸国(イギリスやフランス)は植民地獲得に乗り出した第一次世界大戦では、ドイツ領南洋諸島と中国の山東(さんとう)半島を占領。また、ロシア革命後の1918年(大正7年)にはシベリアに出兵して、東シベリア国家を樹立しようとした。
「日本の大陸侵略」が、太平洋戦争の一因である日米対立にも発展し、日露戦争後、ワシントン体制の下 1931年9月18日中国への「公然とした侵略戦争」を始めたのが「満州事変」 。日本の関東軍によって満洲全土が占領され満州国を建国。約200万を超える日本人が満洲に居住。その日本人移民排斥問題などをめぐり日米関係は悪化。
1939年9月1日に始まったドイツ軍によるポーランド侵攻と同年9月17日のソビエト連邦によるポーランド侵攻が発端による。日本国は1940年(昭和15年9月)世界での戦争状況の中、攻撃に対する相互援助を約した ドイツ、イタリア、日本と軍事三国同盟条約を締結し、大日本帝国は第二次世界戦争へと突入。
日本の敗戦が決定的となった終戦末期の日本帝国海軍 特別攻撃回天隊 (人間魚雷・・・脱出装置はなく、一度出撃すれば攻撃の成否にかかわらず乗員の命はなかった) は山口県に訓練基地があった
16歳の長男 正勝は予科練志願兵で入隊したが、回天隊基地に配属され、訓練期間中で出撃することなく、8月6日広島に原爆が投下され、その情報で長崎に数日以内に投下されることを察知し、長崎にいる家族に、その旨を知らせるために部隊を離れて、実家まで急いで帰省する。
長男(正勝)が後日、知ることになったが、昭和45年8月15日終戦を迎え。2日後、正装した上官が回天の上に乗りピストルで自決した。部下を送り出した責任を取ったのだと思う。
家族は西坂国民学校近付近に平屋の木造戸建に床の広さも狭く、家族がやっとこそ寝れる広さであった。8月9日朝、高等女学校に行かない長女(英子)様子を見てた母(さく)は「女学校に行く日でしょ 行かないの遅刻するよ」、長女(英子)は「今日は行きたくない、なぜか行きたくないの」 そのときである空襲警報が鳴り響いた。すぐに坂の上の崖地に奥行が長い防空壕に避難・・・・・「当時避難した長崎の防空壕」
・・・・原爆投下直前 、長崎には朝から空襲警戒警報が出ており、一旦は避難した市民も多かったが、午前10時過ぎには解除されたため、大半の労働者・徴用工・女子挺身隊は、軍需工場の作業に戻ったとされている。・・・・・・・・
空襲警報が止んだので、睦子の友達3人(男の子2人と女の子1人)がきて「学校に遊びに行こう」と誘われ 次女(恵美子12歳)と三男(敏夫5歳)で、学校の友達3人と睦子は父ちゃんの下駄を履いて遊びに行った。
母(さく) 茂(次男)、英子(長女) 正(四男)は防空豪に避難したままでいた。その防空豪に避難しているところ 、帰省してきた長男である正勝が発見。母(さく)は驚き、永久の別れと送り出した長男(正勝)が目の前にいる。 「どげんしたとね」 正勝は「広島で新型爆弾が落ち 何万人と多くの人が一瞬に死んだ。その新型爆弾が長崎に今日、明日にでも落とされることを知らせるために部隊を離れ、急いで帰省してきたと」 そのときであった、大きな爆発音と爆風、キノコ雲が空高く舞い上がった。
【原爆の爆発の瞬間、落下中心地付近(浦上天主堂の上空付近 )では約3000℃か ら4000℃の異常なほど高温の熱線が放出された。】
長男正勝が「父ちゃん(浅一)はどこにいる。」 母(さく)が 大村(現在の長崎県大村市・・・長崎市の隣町)に大工の仕事で5日前に行った」 「睦子たちはどこにいる」 「空襲警報が止んだので、睦子たちは学校に友達と遊びに行った。」 この爆弾では生きていないだろうと 母(さく)は防空壕の外で呆然と立ち尽くす。 長男 正勝は「学校に行ってみるでよか」
睦子たちは西坂国民学校近付近にて被爆・・・・鶴の港の別名を持つ長崎港を見下ろす西坂の丘に建っている。長崎市御船蔵町 爆心地から約2.1km離れていた。その1.6キロ圏内で被爆 西坂国民学校は、原子爆弾の投下直後に吹き上がった爆風で木造校舎が全壊・全焼。
長女(英子)の高等女学校は原子爆弾の爆風と熱風により、爆心地から約1.3mの場所にあった純心高等女学校の校舎は崩壊。火災によって焼失した。残っていた生徒は死亡
爆風で木造校舎が全壊・全焼した西坂国民学校
木造であったことにより、跡形もなくなっている。学校の「証」としては正面に見えるコンクリート製の壁と門柱だけが残っているだけだった。
次女(恵美子12歳)と三男(5歳敏夫)と近所友達3人とかくれんぼ、睦子(三女9歳)は近所家屋玄関の石垣にしゃがんで隠れていた。右片目だけ少し見開いたときに空がピカーとひかり爆裂、新型爆弾の爆発音と爆風が収まったときには、友達3人は爆風で飛ばされ付近にいなかった。すぐそばの家は爆風で崩壊。弟の敏夫5歳は桜の木の下で身体震えながら伏せの姿勢でしがみついたままでいた。
恵美子(次女12歳)は、爆風で少し飛ばされ、爆風でとんできた物にあたり、右足に酷い傷で横倒れていた。睦子は無傷であった。身体が小さく、石垣を壁にしてしゃがんでいたことが、よかった。
長男(正勝)が「睦子 どこだ 睦子 どこだ」 「兄ちゃん」 「お~睦子」 生きていたか
恵美子も正も 生きてたか 良かった。 恵美子ねちゃんが足にけがして、歩けない。正勝の下着を破って、恵美子の足に、傷口にあて、しばりつけた。
正勝は恵美子を背中におんぶして、睦子は敏夫(三男5歳)の手を握り、母がいる防空豪へ向かった。
その途中、爆発による高温の熱線で火傷が酷く性別不明の人があちこちに倒れていた。その時に付近から聞こえたのが、「倒れている人に水をやるな、すぐに死んでしまう」と。・・。・・・途中に倒れていたおばちゃんから、「むちゃん」 水「ちょうだい」 聞こえた睦子は、すぐに、一緒にかくれんぼして遊んでいた友達のお母さんとわかった。 おばちゃん 「ごめんね 水 持っていないの」、そのあとすぐにおばちゃんは死んでしまった。その様子を見た長男正勝は
「睦子 これが戦争だ」・・・・・・・・・・・次回に続く
不動産の創造 スマートテントハウス
環境国家となる日本、2021年3000兆円とも言われる環境投資が始まろうとしている。今後、環境不動産が促進されていくであろう。その第一弾、長期居住性を追求したスマートテントハウス構築中である。利用価値は非常に良い。セカンドハウス、アウトドア、
テレワーク移住、秘密基地、新たな本宅移住生活、田舎暮らしなど
土地は空き地を無償譲渡(贈与契約にならないよう実質0円)にて入手。但し、テレワークで利用するときはインターネット利用電波受信可能な立地場所でなければならない。
Wi‐Fiさえあれば働ける人が増えている今、車中・テントで仕事をする人、なんだったら、そのまま車中やテントで暮らそうという人が出てきても不思議はない
スマートテントハウスは建築基準法上の建築確認は不要であるので、都市計画区域内の市街化区域・市街化調整区域・都市計画区域外問わず土地を選択できる。
テントという工作物ということで、ひとりですべてハウス構築でき、現場でテント住まいで楽しみながら捗どっている。スマートテントハウス構築費は20万円前後から30万前後の低費用で構築できるように設計している。尚、随時、新たに再構築もできる
一番の課題解決は、防犯・台風・防寒対応設置である。その課題を考察しながら進行中。 ・・・・・・・次回につづく
テレワーク移住生活
新型コロナウイルス感染拡大で働き方が見直される中、実際に東京から北海道へ移ってきた、現在の心境を東京にいた時の“常識”が、今は… 東京から北海道旭川市の空き家を土地と建物合計5万円で知り合いの宅地建物取引士に物件状況の確認と契約書の作成を依頼し購入。横浜市出身で、大学以降はずっと東京暮らし。夫婦とも北海道にゆかりはなく「コロナが広がり始め、テレワークをしていた4月ごろから、地方暮らしを考えた。東京のオフィスはビルに囲まれての風景で、自宅もマンションが並ぶ場所。自然を感じながら働けたらと思った。娘もコロナ禍のため外で遊べず、近くの公園も混んでいた。のびのびと外で遊ばせられる環境で子育てしたいと考え、妻とも話していた」 そんな中、9月に北海道への移住 、住んでみて驚いたのは、思った以上に不便を感じないこと。自宅近くには多くの店があり、歩いて何でも買える。休みの日には、近くの公園に家族で遊びに行く。仕事状況も社員同士対面しなくてもテレワークで東京のころと変わらない。 東京で、満員電車に片道1時間揺られる“通勤地獄”を経験した。1LDKと家族には手狭なのに家賃は10万円。今思えば、東京の生活が異常だった。なぜあんなにお金を払って東京に住んでいたんだろう。生活は大きく変わったが 遠くの人ともテレビ電話で話せるし。携帯の電波が弱いときがあるが、近いうちに5GHz周波数帯が浸透する予定でクリアなネット環境が利用できるようになるので期待している。今回の自分自身の移住も、社会に対して一つの働き方の提言になると思う
不動産業態に変革時代の到来
宅地建物取引士は、宅地又は建物取引の専門家として購入者等の利益の保護及び円滑な宅地又は建物の流通に資するよう、公正かつ誠実に業務を行う宅地建物取引士ネットワーク相互関係の事業組織化を図り精鋭組織化集団を形成。
空き家・空き地実質0円売買取引実績事例
問い合わせ事例
現在、空き家を手放したいと思い、その不動産をお受けいただける方に合意をいただき実質0円不動産譲渡売買を進めたいと考えております。
このような取引の経験がなく、どのように進めていくべきか、どのような書類、手続き、契約書が必要かわからずフォローしていただける方を探しております。
目的は、所有権移転登記が完了するところまでなのですが、ステイ宅建士様はどこまでフォローいただくことが可能でしょうか。
お手数おかけいたしますが、よろしくお願いいたします
問い合わせ詳細依頼内容
空き家を相続することとなりました。この空き家は私の祖父母の家で、自分には今後使う予定もなく、処分を進めようとしたところ、次のような見積結果になりました。
処分の見積内訳項目金額
建物の解体費用 -1,600,000円
不用品の廃棄費用 -540,000円
土地を売却できた場合の予想収入 +800,000円
計 -1,340,000円及び別途売却諸費用
空き家の解体費用がこんなにかかることも知らず、また土地約100坪程をたとえ売却できたとしても、とても解体費用には足りません。そのまま放っておいても税金だけは発生、いずれ近所に迷惑をかけるようになると強制的に解体され、役所から解体費用を請求されることもあるということを知り、不動産会社に相談したところ、空き家物件の場合、法的仲介手数料では売主側からの仲介手数料は400万円以下の売買取引価格に対して上限18万円まで、買主側からは200万円以下の売買取引価格に対して上限5%まで、よって、私は売買価格を1万円で譲渡を予定しておりましたので、仲介手数料18万円ではと思い、また、買主さんから売買価格1万円ならば上限仲介手数料500円しか受領できないと言うことです。不動産会社は運営上、赤字となるので・・・・・、ということで。どうしたらよいか途方にくれていました。
少し、時がたち、この物件を使って店舗をはじめたいという方とめぐり合うことができ、土地・建物を含めてすべて、売買価格1万円で実質上、無償譲渡しました。
私は処分負担がほとんど実質上、無になり、お互いにとって メリットのある取引が実現しました。ステイ宅建士さんの売買契約前(物件状況調査等)のフォロー及び売買契約書作成から所有権移転完了までサポート頂きステイ宅建士さんのおかげで所有権移転まで進めることができました。精神的に身軽になることができ、ありがとうございました。
https://stay60jp.wixsite.com/staytakensi